寺史
慶長八(一六〇三)家康公の勧請により現在地に七〇〇余坪を与えられ創建
当初大谷派・八代順誓の時本願寺派に転派
明治一三(一八八〇)西古河町より出火・本堂・客殿焼失(智忍代)
明治二八(一八九五)本堂・客殿再建(智忍代)
昭和二〇(一九四五)東京大空襲により全焼(宏忍代)
昭和二三(一九四八)仮本堂・客殿建立(宏忍代)
昭和三九(一八六四)新本堂建立(宏忍代)
所在文化財
阿弥陀如来立像(木造・江戸中期・高75cm
墓誌
小栗寛令先生墓碑(江戸末期の画家 天保八・五・二二没)
特記事項
総永代経法要(三月二〇日、又は二一日)
関連資料
【福勝寺】(「寺社書上」より)
西本願寺末/境内御除地 六百坪當寺起立の儀は慶長八癸卯年ニ御座候
○開山親鸞聖人
○開基玄西法師寛文八戌申年期月廿八日卒俗姓佐々木氏其先盛■心して高祖親鸞聖人之 御直弟と相成盛綱玄孫越前国橋立真宗寺開基と相成其より已来交々化導相承して其後三 州え下り従其以来盛綱之末葉相續して慶長八起立当寺東本願寺末ニ御座候処七世順誓法 師宝暦戌寅年八月廿二日西本願寺末ニ相成候
○中興順誓法師天明乙已年二月五日卒
○本堂 五間半四方 本尊阿弥陀如来 木立像丈二尺安阿弥作之由
阿弥陀如来 木立像二寸 惠心僧都作
右ハ開基玄西法師持念仏ニ御座候処内仏ニ安置